今年は例年のベトナム北部ヴァンドン島の子供たちへの6回目の訪問と、ベトナム中部ドンホイの山間貧困少数部族の子供たちへの初めての訪問が出来ました。
北部ではクァンラン島の子供たち分も含め計92名分の奨学金を手渡しました。また、中部の山間民族地区では3つの小学校177名へ、ノート、レインコート、ミルク4個が入った通学用バッグを手渡たし、その中でも特に少数部族の2つの学校の児童85名にはわずかな奨学金も手渡しました。
日本からは妻、和子の4回目の同行支援があり、また、ハノイからはラム(Lam男性)、ニャット(Nhat男性)の2名が合流しました。支援物資の調達や現地との調整などは毎回の支援リーダーである ニャット(Nhat男性)がすべて手伝ってくれました。 彼は国際NGOのHIV/AIDS人権プロジェクトリーダー経験者で現在はベトナム全体の災害支援やボランティア支援団体で活躍中です。ラムは新聞記者経験があるルポライター&カメラマンです。彼らはどちらも英語が堪能で伊東の親しい友人であると同時にいつもベトナム語と英語の通訳を担当してくれています。過去6回ともこの二人の支援や現地のボランティアスタッフ10数名の熱心な協力で貢献活動が継続できています。
12月13日成田10時発のジェット機で6時間半のフライト後、午後2時30分にハノイ国際空港に着きました。ラムが出迎えてくれ、空港からチャーターした車ですぐにヴァンドン島までの中間点で世界遺産でも有名なハロン湾まで4時間の行程を走りました。そこで一泊しました。一室料金は二人で素泊まり12ドルでした。ドライバーも含め2室に泊まりました。このホテルで翌日手渡す奨学金92名分をNPO-LESAロゴ入り封筒に仕分け封入する作業をしました。
封筒の中身は60万ドン(約3,000円、現地価値は3万円相当)でした。
翌朝ホテルを7:00に出発しますと現地には9:00に到着しました。
ヴァンドン島ではコミュニティホールにすでに44名の子供たちや父兄達が集まっていました。子供たち全員と不滅の花グループの人たちは全員がHIV陽性で毎日発症しないためにクスリを一錠ずつ飲んでいます。子供たちはワイワイととても元気で、最初に代表ハン(現地リーダー)さんの挨拶や子供代表の女の子が感謝の朗読をした後、ハンさんがリストされた子供たちの名前を読み上げ、伊東が個別に奨学金を手渡していきました。親たちのお礼の言葉の後、全員で伊東のリコーダー伴奏に合わせて子供たちも誰でも知っている「地球はみんなのもの」を合唱しました。その後は現地のボランティアグループのみなさんと歓談した後、首都ハノイへ戻るためにヴァンドン島を出発しました。
首都ハノイには約6時間のドライブ後、夕方5時前に着きました。ここではニャットさんの新居に招待されました。この晩、11時発の寝台夜行列車へ乗る迄の休憩と夕食タイムです。ディナーは彼等二人の親友で日本のベトナム領事館に6年勤務していたヴィエットさんが中心となり彼等3人が準備してくれました。ヴィエットさんは現在もベトナム政府外交官としてハノイで活躍中です。彼とはよくメール交換してきましたが面会は初めてでした。この貢献活動の最初の段階でニャットさんを紹介してくれた方です。
ハノイ発の夜行列車には4名で11:00pmに乗車し、翌朝8時過ぎにベトナム中部のドンホイという町に着きました。列車は路線状態もひどく、4人部屋の二段ベッドでしたがほとんど眠れませんでした。ドンホイの駅には国際貢献NGOプランインターナショナルの現地スタッフ女性が出迎えてくれました。簡単な朝食後、チャーターした車で彼女と5人で出発しました。ラオス国境に向かって1時間ほどの山中ですが途中から舗装路はなくなり、ガードレールもない大変な悪路の峠道を越えていきました。3つの小学校の児童177名を支援する事が目的です。道中半ばから人民委員会副議長の男性が同乗してきて同行しました。彼はそれぞれの学校で最初にスピーチしました。この地域へ外国人は通常訪問出来ないそうで許可が必要との事でした。かつてのベトナム戦争時代に米軍により大量の枯葉剤がまかれたり、大変な爆撃に見舞われた地域で現在も地下水にはダイオキシンがあるそうです。
1校目の小学校に着くとすでに父兄や子供たちが待っていました。そして学校の中央には63名分の事前に配送した学習用具やレインコートなどが入った通学バックがうずたかく積まれておりました。数名の感謝のスピーチの後、7名ずつ前に並び、奨学金とともにこのバッグを手渡していきました。子供たちは世界中から送られてきた支援の古着をきてゴム草履や裸足で、風呂にもあまり入っていない様子でした。ベトナムの最貧困エリアといわれていました。それでも子供たちは明るく、全員で伊東のリコーダー伴奏に合わせて子供たちが誰でも知っている「地球はみんなのもの」を合唱したりしました。上部の大きめの写真の学校です。
2校目はまたクルマで20分ほどの峠を2つ越えた奥まったところにある更に小さな学校でした。ここでも22名の子供たちが父兄とともに待ちわびていました。一つ目の同様の手渡し作業の後、子供たちに将来の夢を聞きました。歌手になりたい二人の子供が前に出て歌を歌ってくれました。そしてお医者さんになりたいと言った数名の子供たちには一生懸命勉強するように激励しました。上部の小さめな写真です。
3校目94名分は少数部族ではない学校でしたので奨学金は届けず、レインコートと学習用具入りの通学バックのみを送り届けることにしました。
そしてドンホイの町へ戻り、NGOプランの仲間と歓談した後、首都ハノイへの帰途は飛行機で戻りました。
当NPOの理念である末端現場で Hand-to-Hand ”ひとりひとりに確実に手渡す” という貢献活動が今年も達成できました事をここにご報告致します。今年度の奨学金募金の際には大変なご理解とご支援を頂きましたたくさんの皆様方へはここで再度、心から御礼を申し上げます。来年度への継続的なご支援もどうぞよろしくお願い致します。
来年も公募金35万円+NPO-LESAからの35万円、計70万円募金を目標に活動をすすめていきます。(目標US$7,000)
(Dec. 24, 2013 記、伊東眞一)
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